こんにちは。管理人のミニラです。このブログは、多発奇形(第一第二鰓弓症候群・ゴールデンハー症候群)で”歩ける医療的ケア児”・”重度聴覚障害児”である一人息子”こざる”の辿って来た道を紹介するものです。周りに同じ様な症状の子がいなくて、情報も少なく不安になっているかもしれない方に、ロールモデルの一つとして知ってもらえれば・・・と思っています。
また、”(歩ける)医療的ケア児””重度聴覚障害児”について知りたいと思われる方には、情報提供の一つになれば、とも思っています。
なお、このサイトはあくまでも個人的な経験に基づくものなので、同じ障害であっても個人差・環境差等々でそれぞれ違うケースがあることをご了解ください。また個人的見解を述べているのに過ぎないので、色々なご意見ご感想があると思いますが、”こんな考え方をする人もいるんだな”ぐらいの軽い気持ちで読んでいただければと思います。
生まれた子供が多発奇形だった・・・。
子供の状態を知ったのが、産前か産後で受け入れまでの時間が違うかもしれませんが・・・それでも、さぞ驚かれたことと思います。
何が原因か、何が悪かったのか、考えてしまいますよね。
でも命が生まれてくる形は、私達の意志で自由にどうにかなるものでもないんですよね・・・。
私の場合、「思い当たる事はないか」と医者に聞かれましたが、特にはなく、あえて言うなら家庭内がゴタゴタしていた時に妊娠したことを言うと、「じゃあストレスかな」と。
世のお医者さんは原因がハッキリしない症状があると、とりあえずストレスを原因にしがちな気がします。当たらずといえど遠からずですが。でも・・・よくあるレベルだったと思うんですけど。
原因もですが、多発奇形の症状の病名も”〜症”と名前が付くものもありますが、つかないものも半分以上あるそうです。こざるの場合も書類に何か病名の記入が必要だった為、一番近いのが”第一第二鰓弓症候群”でした。超大雑把な括りの名前です。その後整形外科で先天性側湾症の診察をしてもらった時に、”ゴールデンハー症候群”と知らされました。
年齢・飲んでいる薬・生活環境など色々リスクが言われますが・・・。リスクが高かろうが低かろうが、なる場合はなる。ならない場合もある。その境目がどこかなんて誰にもわかりません。
なので、原因については気にしない事にしました。(今更変えられない事を気に病んでいても仕方ないので。、、、と言うより現実そんな事を気に病んでる場合じゃなく大変でいっぱいいっぱいだった)
あせらず、気長に。なるようになるさ〜
赤ちゃんの見た目は色々あるかもしれないけど、心は同じですよね。もし見た感じ反応が有るのか無いのかわからない場合でも(うちはそんなでした)心は間違いなく持ってます。
”楽しいといいね。幸せだといいね。”と願いながら育てて15年。現在聾学校の中学3年生です。赤ちゃんの頃は親の事を認識出来ているのか疑問なほど、人に働きかけたり反応したりする様子も怪しいものでした。でも今では少人数の学校ながら生徒集会で自分なりに参加して意見も言えるようになったそうです。(周囲のフォローのおかげもありますが。)学校の友達と会話がしっかり成立するようになるまでまだかかりそうですが、焦らずのんびり見守っている状態です。なるようになるさ〜♪(そしてなるようにしかならない(^_^;))
しんどい。けど それで終わりたくないし
こざるを育てるのは暗中模索に五里霧中の日々で、ネガティブな事にはほっといても押しつぶされそうになることも・・・。
しんどいけどね・・・。でも今しか見られない可愛さ・今しか感じられない楽しさを大切にしたいです。可愛い子供を育てているのは変わらないのだし。自分の人生がしんどいだけで終わりたくないし。
通常の子育てだって、その期間全然楽じゃないと思う。心配事も・困り事も・愚痴も・焦りも、そんな感情を抱えながらは同じなんじゃないかと。子供が大丈夫でも仕事とか家庭環境とかきっと状況は色々。
子供も親も、人生の終わりに”あ〜、楽しかった”って言えるといいな。